2010年2月22日
トーロンマン
1950年5月8日、デンマークのシルケボーから西12キロメートル、ビェルスコウ渓谷のピート・ボグで、トーロンの小さな村から来たヴィゴとエミルのヘイゴー兄弟が、ストーヴ用にピートを切りだしていた 。 働いているうちに、ピートを運搬車に積みこむのを手伝っていた彼らの妻の1人が、泥炭層に遺体が埋まっているのに気づいた。 その顔があまりに新しく見えたため、彼らはこの遺体が最近の殺人事件の被害者だと思い、かなり逡巡したのちにシルケボーの警察に届け出た。 警察はこの遺体に困惑し、死亡時期を推定するために、考古学教授のペータ・ヴィルヘルム・グロブを招へいした。 最初の検査の段階でグロブは、この遺体が2,000年以上昔のもので、生贄にされたものだろうと推測した。
トーロンマンは堅い地面から50メートルほど離れた泥炭地、深さおよそ2メートル未満の地点に、胎児のような姿勢で埋まっていた。 とがった革のキャップが、革ひもであごの下にくくりつけられていた。 腰周りには、滑らかな革のベルトを着けていた。 その上、死体の首の周りには絞首の紐がきつく巻きついて、背中の下の方まで垂れ下がっていた。 それ以外には、遺体は何も身につけていなかった。 髪は短く刈り込まれており、キャップでほとんど隠れていた。 1ミリメートルほどの長さの無精ひげが、あごと上唇に生えており、死の当日に彼がひげを剃らなかったことを示唆している。
科学的調査とその結論
遺体の下には、苔の薄い層があった。 科学者によりこの苔が、初期鉄器時代にデンマークのピート・ボグに生えていたことが判明したため、遺体は鉄器時代初期、およそ2,000年前に沼地に置かれたものと思われる。 続いて14C放射性炭素年代測定により、トーロンマンの髪の毛を調べて、彼がおよそ紀元前400年頃に死んだことが分かった。 泥炭中の酸素や地表下の酸素欠乏のおかげで、遺体の軟部組織がよく保存された。
X線その他の検査により、トーロンマンは頭には損傷を受けていないことが分かった。 心臓、肺、肝臓の保存状態も良好であった。 それほど年寄りでもないが親知らずが成長していたことから、トーロンマンは20歳以上の年齢であることがはっきりした。 シルケボーの博物館では、トーロンマンの年齢およそ40歳、身長は当時としても比較的低めの161センチメートルと推測した。 ボグに沈んでいる間に縮んだ可能性もある。
1950年の最初の検死報告によれば、トーロンマンの死因は地上での絞殺ではなく、吊るし首に遭って死んだのだという。 ロープ跡があごの下や首の側面に残っていたが、本来あるべき首の後ろの結び目跡が残っていなかった。 2002年の再検査でも、科学的調査により、最初の調査を補完する新たな証拠が見つかった。 吊るし首の犠牲者によく見られる頸椎損傷はなかった。 同様にX線撮影により、舌は損傷していないが、吊るし首の場合の特徴である舌の膨張が見られることが分かった。
胃と腸が調べられ、その内容物について検査が行われた。 トーロンマンの最後の食事はオートミールのポリッジのようなものであった。 材料の野菜や種子には、野生のものも栽培したものも含まれており、オオムギ、アマ、アマナズナ属、タデ属、荒い牧草、カモミールといったものが見られた。
トーロンマンの消化器系には、肉食の痕跡が全くなかった。 消化の様子から、トーロンマンが最後の食事をとってから12~24時間生きていたことは確実である。 また彼は死の直前、丸一日食事をとらなかったのだという可能性もある。 同様の野菜スープは当時の人々にとって珍しいものではなかったが、2つの点が興味深かった
スープには野生・栽培を問わず、多くの種類の種が含まれていた。これらの種はすぐ利用できるものではなく、特別な出来事の際に集められた可能性もある。
スープは、彼が発見された地域では春に採れる野菜の種子で作られていた。
『ウィキペディア(Wikipedia)』引用
紀元前4世紀に生きていた男性の遺体が、自然に死蝋化したもののようです。
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